『精神科医よわい』を一日読んでた。
普段もメンタル関係のものはどうしても検索してしまうため、意識的に見ないようにして生活してきた。
5年前のメンタルダウンの時に学んだ知恵の一つだ。
脇見恐怖症がひどかったときも、布団に入っては「脇見恐怖症」で検索したり、通勤の行き帰りに電車の中でずっと検索していた。
精神が安定している時はほぼメンタル関係の検索をすることがないので、メンタル関係の検索をずっとしているときが、不調の時期なのだと少しづつわかるようになってきた。
今通っている大学病院の先生は、私を発達障害と診断してくれた先生とは別の先生で(最初の先生はすぐに転勤してしまった)、前々から薬を出す解決方法しか言ってくれないひとなので、あまりこちらも話さないようにしていた。
今回仕事を辞めた時に、障害年金を申請したい、と申し出たところ急に怒り出したことから、それ以来全く信用できなくなった。
この先生対応についてはもっとひどいことがあるのだが、今のメンタルで記録するために思い出していると、もっとメンタルが落ちそうなのでもう少し落ち着いている時にまとめようと思う。
今まで人生で、私は普通にしているだけなのに、学校でも職場でも私には怒っても大丈夫だと思う人が多く(私には急にその人たちが怒っているように思う)、mそういう悪意のある人たちから身を守るために、出来ないことを一生懸命出来るように頑張ってきたつもりだ。
本当は勉強するのが好きではないのに、前の前の会社ではパソコンスキルが足りてないと感じて、自分のお金でパソコン教室に通って、業務をマクロで自動化した。
思い出しても虚しくて涙が出るのが、正月休みとか長期の休みでも、1日中業務を自動化できないかずっとパソコンの前に座っていた。
好きでプログラミングしているわけではなく、髪の毛をむしりつつ、仕事を回せなかったらどうしようという恐怖と戦いながらなので、せっかくの連休なのにすごく苦しかった。
今回辞めた仕事でも、資格の奨励を会社がしていたので、苦手な勉強を長期休暇の間もずっと家にこもってしていた。
お金がかからないし一石二鳥だとも考えていた。
でも結局仕事を辞めることになった。
今回仕事を辞めて、長年時間の無駄だと思ってしたかったけどやってこなかったことをしてみた。
辛いと思っても恐怖からプログラミングも資格取得も小器用に何でも出来てしまう。
でも誰も私が社会人として人間関係が苦手だからつらい思いをして勉強していることに気づいてくれない。
多分本当はのんびり屋でぼーっとしているタイプなのに、人生でダメ出しされすぎて、表面上はすごく温和に見える(らしい)のに、すごく攻撃的な人間になってしまった。
どこのメンタルクリニックに行っても改善がないし、挙句の果てにいろいろなところで依存的だと言われるし、母親には他の兄弟はしっかりしてるのにお前は一番甘えている、と暴言を吐かれるし、私の父親の介護の期間5年間はまったく認めてもらっておらず、30代後半は無駄なものとなった。
厚生労働省の電話相談窓口も繋がならいし、また自分で勉強して解決するしかないのか…。しんどい…。
いい加減メンタルのことを考えずに、自分のやりたいことに集中できたらいいのに。
こういう考えが危険と本に書いてあった。
自分のメンタルとはうまく付き合っていくものらしい。
でもしんどい。頑張っているのに誰にも認めてもらえない、と怒りが湧いてくる。
本当に認めてほしいのは母親だが、無理そうなので、父の遺産を食いつぶす前に早く死んでくれることを願っている。
いい加減に母親のことでイライラするのも卒業したい。
姉との登山が唯一の逃げ場だったのに、そこにまで母親が入ってきて、腹立たしい。
母親は父親にわかってもらえていなかったので(父もアスペルガーらしい傾向があると私には感じる)もうおばあさんなのに兄弟の集まりに入ってくるのだ。
私の唯一の逃げ場なのに、本当に早く死んでほしいものだ。